社内AIコンテストの裏側、そこは「机上の空論」と「現場の泥臭さ」の戦場だった
先日、あるクライアント向けに「社内AI活用コンテストの企画・運営ガイド」という記事をまとめました。そこには、成功のためのフレームワークやスケジュール、きらびやかな成功事例が整然と並んでいます。KPI、ハンズオン、インセンティブ設計…どれも正論ですし、間違いなく重要です。
しかし、正直に告白しましょう。あの記事は、いわば「理想のレシピ本」です。そこには、キッチンで実際に起こるであろう「卵の殻が入っちゃった!」「牛乳をこぼした!」「なぜか味が決まらない!」といった、生々しい奮闘は書かれていません。
AI導入や業務改革の現場とは、まさにそんな泥臭いキッチンのようなものです。どれだけ完璧なレシピ(計画)があっても、実際に料理をするのは「人」。感情があり、プライドがあり、日々の業務に追われる生身の人間です。
今日は、あの綺麗なレシピ本の裏側で、私とクライアントの皆さんが繰り広げた、マネージメントとコミュニケーションを中心とした「人間臭い」奮闘記を、少しだけお話ししようと思います。これは、AIという最新技術を導入する際に、最も重要で、そして最も見過ごされがちな「人の心」をどう動かしたかの物語です。
第1章:「15分ルール」という名のトロイの木馬
記事にはこう書きました。「行動経済学では『習慣化の鍵はスモールスタートにある』とされています。15分という小さな成功体験が…」と。実にスマートな解説ですが、現場はそんなに甘くありません。
このプロジェクトの中心にいたのは、DX推進課の佐藤さん(30代)。非常に優秀で、AIへの情熱も人一倍。しかし、彼女の前に立ちはだかったのは、製造部の重鎮、鈴木工場長(60代)でした。
「佐藤さん、どうしましょう…。工場長にAI活用のハンズオン参加をお願いしたら、『そんな暇あるか!』って一喝されちゃいました。『俺たちはAI様のご機嫌を伺うんじゃなくて、機械のご機嫌を伺うのが仕事だ』って…」
半泣きで相談に来た佐藤さんに、私は苦笑しながらこう言いました。
「佐藤さん、正面から城門を破ろうとしちゃダメです。鈴木工場長のような百戦錬磨の武将には、正攻法は通用しません。こういう時こそ、小さな『トロイの木馬』を送り込むんです」
「トロイの木馬、ですか?」
「ええ。それが『15分ルール』の本当の狙いです。記事には『習慣化のため』と書きましたが、あれは建前。本音は、抵抗勢力に有無を言わさず『体験』させるための口実なんです」
私は佐藤さんに具体的な作戦を授けました。ハンズオンへの参加依頼ではありません。「鈴木工場長、お願いです。たった15分でいいんです。今、工場長が毎日チェックしている生産日報のデータ、これをAIに読み込ませてグラフを作るのを、隣で見ていてくださいませんか? 私、うまくできるか不安で…」と、教えを乞うスタンスで頼むのです。
数日後、佐藤さんから弾んだ声で電話がありました。
「やりました!作戦成功です!」
彼女が鈴木工場長の隣で、おずおずとAIに指示を出すと、無機質な数字の羅列だった日報が、ものの数分でカラフルなグラフに変わりました。
「なんだって…こりゃ見やすいなや。いつもエクセルでポチポチやって、半日かかってだやつだべ?」
鈴木工場長が、初めて見るおもちゃに興味津々の子供のような目で画面を覗き込んでいたそうです。
「はい。それでですね、AIに『先週と比べて生産量が落ちている原因として考えられる要因を3つ挙げて』って聞いてみたんです。そしたら…」
「そしたら、なんだ?」
「『2号機の稼働停止時間』と『材料Bの入荷遅延』を指摘してきたんです。工場長、これって…」
「…んだ。わしが昨日、現場の連中ど話してだこと、そのまんまだなや。なんでAIなんかにわがるんだ?」
この一件で、鈴木工場長の態度は軟化しました。ハンズオンには来ませんでしたが、時々「佐藤さん、あの『えーあい』ってやつで、このデータどうにかなんねが?」と相談に来るようになったのです。
「15分ルール」は、習慣化のテクニックであると同時に、相手のプライドを傷つけず、警戒心を解き、知的好奇心をくすぐるための、高度なコミュニケーション戦術なのです。変化を嫌う人に「学んでください」と言うと、相手は心を閉ざします。しかし、「あなたの知恵を貸してください」と頼れば、心を開いてくれることがあるのです。
第2章:役員会を突破せよ!「恐怖」と「期待」の方程式
記事では「経営層の強力なコミットメントが最大のドライブになります」と、さも当然のように書かれています。しかし、その「コミットメント」を引き出すまでには、静かでありながら熾烈な心理戦がありました。
役員会でのプレゼン後、ある役員から冷ややかな一言が飛んできました。
「DX推進部の田中部長。話は分かったが、要するに『社内のお遊びイベント』だろう? 面白いアイデアが出ても、それがどうやって売上につながるんだね? 失敗したら、この予算はドブに捨てることになるんだぞ」
田中部長(40代)と佐藤さんは青ざめていました。このままでは、企画そのものがお蔵入りになりかねません。会議が終わった後、私は二人にこう伝えました。
「田中部長、次の役員会ではアプローチを変えましょう。人を動かすのは『正論』ではありません。『感情』です。特に経営層に響く感情は二つ。『このままではヤバい』という恐怖と、『これをやれば勝てる』という期待です」
私たちは次のプレゼン資料を、大幅に作り変えました。
まず見せたのは、競合他社がAIを活用して、顧客対応時間を30%削減し、年間数千万円のコストカットに成功したという具体的なニュース記事。そして、自社の顧客アンケートで「問い合わせへの返信が遅い」という不満が年々増加しているという、生々しいデータ。これが「恐怖」です。
次に、コンテストの「重点領域テーマ」として「顧客対応の品質向上と効率化」を掲げ、もし現場から画期的なアイデアが出てきて、それを実装できれば、問い合わせ対応コストを20%削減できる可能性がある、という試算を提示しました。これが「期待」です。
そして、最後に社長(60代)に、こう切り出したのです。
「社長。このコンテスト、ただのイベントでは終わりまさん。これは、未来の会社を担う人材を発掘する、いわば『社内ドラフト会議』です。最終審査会で、社長の目から見て『こいつは面白い!』と思った社員に、サプライズで『社長賞』を渡していただけまさんか? 社長直々の一言が、社員にとって何よりの勲章になります。そうなれば、みんな目の色を変えて挑戦するはずです」
「ほう、わしが直々にが。そりゃ面白そうだなや」
社長は満更でもない様子でした。これは単なるおだてではありません。経営トップを「評価する側」から「参加する当事者」へと引き込み、コンテストに個人的な意味を持たせるための戦略でした。人は、自分が関わったものを特別に感じ、成功させたいと思うものです。
結果、予算は無事承認されました。経営層を動かすには、綺麗な計画書だけでなく、彼らの心の中にある天秤を「恐怖」と「期待」で揺さぶり、最後は「自分ごと」として捉えてもらうための仕掛けが必要なのです。
第3章:「失敗知の共有」という名の告解室
「失敗知をオープンに共有する場を設けます」…記事のこの一文ほど、日本の組織で実現が難しいものはありません。「失敗は悪」という文化が根強い中で、「失敗しました」と手を挙げるのは、並大抵の勇気ではできません。
案の定、コンテスト期間中に設けた「失敗談共有会」は、初回の参加者がたったの3人。しかも、誰も口を開こうとせず、重苦しい沈黙が続きました。
この空気を打破するため、私は一計を案じました。まず、私自身の過去の失敗談を、赤裸々に語ることにしたのです。
「皆さん、実は私、20代の頃に担当した物流システムの導入プロジェクトで、とんでもないヘマをやらかしましてね。良かれと思って最新の自動倉庫を提案したんですが、現場の動線を全く考えていなかった。結果、導入後にかえって作業効率がガタ落ちして、毎日のようにベテランの作業員さんたちから『あんたのせいで仕事にならん!』って怒鳴られて…。半年間、毎朝謝りに行くのが仕事でしたよ(笑)」
外部の専門家である私が、自らの「盛大な失敗」を笑い話として語ったことで、場の空気が少し和らぎました。権威ある立場の人間の弱さは、時に人の心を解き放つ鍵になります。
次に、私はこう続けました。
「今日のこの会は、反省会じゃありません。いわば『宝探し』です。失敗って、うまくいかなかった方法が一つ見つかったってことですから、実はすごい価値がある。だから今日は、『一番高く売れそうな失敗談』を話してくれた人に、私から個人的に美味しいお菓子をプレゼントします!」
ユーモアは、心理的な安全性を確保するための最強のツールです。すると、佐藤さんがおずおずと手を挙げました。
「あの…私、AIに議事録を要約させようとしたんですが、専門用語が多かったせいか、全然トンチンカンな文章が出てきて…。結局、自分で書き直した方が早くて、1時間も無駄にしちゃいました」
その小さな告白を皮切りに、「私もです!」「AIって嘘つきますよね!」と、堰を切ったように他のメンバーも話し始めました。失敗は、共有されることで「個人の恥」から「共通の学び」へと昇華します。
この「失敗知共有会」は、回を重ねるごとに参加者が増え、いつしかコンテストで最も人気のコンテンツになっていました。心理的安全性とは、制度で作るものではなく、誰かの小さな勇気と、それを称賛する文化、そして少しのユーモアによって、ゆっくりと醸成されていくものなのです。
まとめ:AI導入は、人の心を変える「物語」を描く仕事
「社内AI活用コンテストの企画・運営ガイド」に書かれた内容は、すべて正しく、効果的な手法です。しかし、それらはあくまで道具に過ぎません。大切なのは、その道具を誰が、どのように、どんな想いで使うかです。
現場の職人のプライドを尊重し、役員の不安と期待を読み解き、社員の失敗への恐れを和らげる。こうした一つひとつのコミュニケーションの積み重ねこそが、変革の成否を分けます。
AIの導入は、単なるシステム開発ではありません。それは、組織に新しい文化を根付かせ、人々の働き方、そして考え方そのものを変えていく、壮大な「物語」を紡ぐ仕事です。そして、その物語の主役は、AIではなく、いつだって「人」なのです。
もしあなたが今、社内のAI活用やDX推進で壁にぶつかっているのなら、どうか思い出してください。完璧な計画書をもう一度見直す前に、現場で奮闘する誰かの声に耳を傾け、その心を少しだけ軽くしてあげること。その人間臭い一歩こそが、どんな最新技術よりも雄弁に、組織を未来へと動かす原動力になるはずですから。