AIアレルギーの会計担当を「先生」に変えた、あの一言。町内会記事の裏にあった泥臭い奮闘記

AIアレルギーの会計担当を「先生」に変えた、あの一言。町内会記事の裏にあった泥臭い奮闘記

先日、「町内会・自治会の救世主!AI活用で業務負担を激減させる実践ガイド」という記事を公開したところ、思いがけず多くの反響をいただきました。「まさにうちの自治会のことだ」「これなら自分でもできるかもしれない」といった声が届き、同じ悩みを抱える方々の多さを改めて実感しています。

しかし、あの綺麗にまとまった記事の裏側には、実に泥臭く、人間味あふれる試行錯誤の物語がありました。長年、物造りの世界で「どうすれば物事はもっとスムーズに流れるか」を考えてきた私にとって、最も身近で、そして最も手ごわい「現場」──そう、我が町内会こそが、AIという新しい道具の真価を試す、最高の実験場となったのです。

この記事は、あの実践ガイドには一行も書けなかった、私のプライベートな奮闘の記録です。そこにあったのは、最新技術の解説ではなく、変化を前に立ちすくむ人々の心に、どうやって橋を架けるかという、昔ながらのコミュニケーションの悩みでした。

「おめ、会計ばやる気あんのが?」友人からのSOSと、私の甘い目論見

ことの始まりは、かれこれ30年来の付き合いで、現町内会長の佐藤さんからの、一本の弱々しい電話でした。
「わりぃなや、相談あっけんだけど…。今度の役員会、会計報告の資料がまだでぎでなくてな。前の会計の安倍さんが急に入院してしまて、引継ぎもままならねんだず。押し入れさあっ資料、まるで地層みたいになてて、何が何だか…」

電話口から聞こえる声は、疲労困憊そのもの。長年、物造りの段取りや流れの改善に携わってきた血が、騒がないわけがありません。押し入れに眠る「紙の地層」は、私にとっては工場の隅に積まれた「仕掛品の山」と同じに見えました。

「佐藤さん、任せろ。いい道具があるんだ。それを使えば、その地層も宝の山になるかもしれんぞ」

私は意気揚々と、最新のAIツールを詰め込んだノートパソコンを小脇に抱え、公民館の和室へ向かいました。私の頭の中にあったのは、あの記事に書いたような、輝かしい未来図でした。

全ての紙資料をスマホで撮影し、AIでテキスト化してクラウドに保存。キーワード一つで過去の議事録が瞬時に見つかる「町内会アーカイブ」の完成。会計データもAIで分析し、無駄を可視化。役員の誰もが、時間と場所に縛られずに情報共有できる…。完璧な計画でした。そう、私の中では。

役員会で、私は自信満々にその計画をプレゼンしました。しかし、返ってきたのは、温かい拍手ではなく、しんとした沈黙と、数人の役員の戸惑いの表情でした。そして、その沈黙を破ったのは、長年、会計監査として町内会のご意見番を務めてきた、大ベテランの伊藤さんでした。

伊藤さんは、私のパソコンには目もくれず、分厚いファイルが詰まった棚を指さして、静かに、しかし鋭くこう言ったのです。

「あんたの言ってるごどは、わだしみだだ年寄りには、さっぱり分がんね。それにだ、そだ便利な機械さ頼って、大事な会計の数字ば、ぽちっと間違えだら、誰が責任とんだ?今まで、このファイルと、この算盤で、一円も狂わせずにやってきたんだず。そっちのほうが、よっぽど確かだべした」

正論でした。あまりにも、ぐうの音も出ない正論。私は「効率」という物差しだけで、彼らが長年かけて築き上げてきた「信頼」と「プライド」を、全く見ていなかったのです。和室の空気は、すっかり冷え切ってしまいました。

失敗の本質は「何を言うか」ではなく「誰が言うか」

数週間後、地道な資料整理が一段落した頃、私は「ある物」を持って再び伊藤さんの元を訪れました。それは、AIの機能を紹介する派手な資料ではなく、たった一枚のレシートでした。先日の公民館の掃除で使った、雑巾と洗剤のレシートです。

「伊藤さん、ちょっとご相談があるんですけど…。今度、会計報告のやり方を若い人にも分かりやすく伝えたいと思ってて。例えば、この一枚のレシートを、どうやって帳簿につければいいか、お手本を見せてもらえませんか?」

私は彼を「教わる側」ではなく「教える側」、つまり「先生」にしたのです。人は、誰かに何かを教える時、自然と心を開き、プライドが満たされます。

「なんだ、そだごどが。簡単だべした」
伊藤さんはまんざらでもない様子で、慣れた手つきで帳簿にペンを走らせます。その横で、私はすかさずスマホを取り出しました。

「すごいですね!忘れないように、写真撮っておいてもいいですか?」
私はレシートと、伊藤さんが書いた帳簿を並べて撮影しました。そして、おもむろにこう言ったのです。

「ついでに、最近のスマホって、面白い機能があるんですよ。この写真に写ってる文字を、勝手にパソコンの文字にしてくれるんです。ちょっと見ててください」

私はChatGPTアプリを起動し、今撮った写真を読み込ませました。すると、数秒でレシートと帳簿の内容が、テキストデータに変換されて画面に表示されたのです。

「ほう…」伊藤さんの目が、初めて私のスマホの画面に釘付けになりました。

「これ、何が便利かって言うとですね、例えば去年の夏祭りで『焼きそばの材料費、いくらだったっけ?』って探す時、今まではこの分厚いファイルば全部めくらないとダメだったじゃないですか。でも、こうやって文字にしておけば、『焼きそば』って入力するだけで、一瞬で見つかるんですよ」

私はAIを「会計を自動化する魔法の道具」としてではなく、「伊藤さんの素晴らしい仕事を、後から探すのをちょっとだけ手伝ってくれる、気の利いた文房具」として紹介したのです。主役はあくまで伊藤さんの仕事であり、AIは脇役に徹する。この見せ方の転換が、決定打となりました。

「…んだが。そだらば、ちぇっとは便利かもしんねなや」

彼の口から、初めて肯定的な言葉が漏れました。それは、分厚い氷壁に差し込んだ、一筋の光のようでした。

そして物語は、あの記事へ

この日を境に、町内会の空気は劇的に変わりました。伊藤さんは「わだしが、ちゃんとAIが正しい数字ば出しるがどうか、監査してやっから」と、自らAIの「監査役」を名乗り出てくれたのです。彼が味方になったことで、他の役員たちの不安も一気に解消されました。

あの記事で紹介した「資料探しが30分から3秒になった」という事例は、まさにこの時の体験が元になっています。「回覧板の文章作成」は、文章を考えるのが苦手だった佐藤町内会長の悩みを解決するために試したものです。「イベント企画のアイデア出し」は、マンネリ化していた夏祭りを盛り上げるために、子ども会の役員のお母さんたちと一緒に使った機能でした。

一つ一つの活用事例は、すべて、誰かの具体的な「困った」に寄り添い、AIを「押し付ける」のではなく、「そっと差し出す」ことで生まれてきたものなのです。

もし、あなたがこれから地域やサークルで新しいことを始めようとして、周囲の反対や無関心にぶつかったとしたら。

どうか、私のこの失敗を思い出してください。
どんなに素晴らしい計画も、優れた道具も、それだけでは人の心は動きません。大切なのは、相手の歴史とプライドに敬意を払い、まずはあなたが相手から学ぶこと。そして、「教える」のではなく、「一緒に試してみませんか?」と、隣に座って同じ画面を覗き込むこと。

その泥臭い一歩こそが、どんな最新技術よりも雄弁に、人の心を動かすのだと、私はこの町内会という最高の「現場」で、改めて教えられたのです。