あの小難しいAI記事の裏側、実はおふくろの味と探し物から始まった話

あの小難しいAI記事の裏側、実はおふくろの味と探し物から始まった話

先日、ちょっと背伸びして「製造業の品質管理はAIでどう変わるか」なんていう、いかにもな記事を世に出しまして。おかげさまで、いろんな方から「参考になった」なんてお言葉をいただいて、ありがたい限りです。

ですがね、正直に白状しますと、あの記事の根っこにあるのは、最先端の技術論なんかじゃなくて、実は我が家の台所での女房とのやり取りや、近所のじいさん連中との井戸端会議だったりもするので改めてそんなお話も聞いてください。

今日は、あの堅苦しい記事の裏側で、私がどんな試行錯誤をしていたのか、そんな裏話を少しだけお聞かせしようかと思います。AIだのDXだのって言葉に気圧されちゃってる人にこそ、「なーんだ、そういうことか」って思ってもらえたら、嬉しいですね。

きっかけは「今日の煮物、なんだがしょっぱいなや」の一言

ことの始まりは、ある日の夕食でした。食卓には、女房の得意料理であるカレイの煮つけが並んでいたんです。いつもは甘じょっぱい絶妙な味付けで、これがあればご飯が何杯でもいけるんですが、その日に限って、どうも味が濃い。

「おーい、今日の煮物、なんだがしょっぱいなや」

私が何気なくそう言うと、台所から不機嫌そうな声が返ってきました。

「あら、そんげごどねーべ!いづも通りに作ったんだげんと」

「いや、いづもどは違う気がすんなや。醤油、間違って二回入れだんでねぇが?」

「失礼な!わだしを誰だど思ってな。目つぶっても作れるわ、こんげなの!」

売り言葉に買い言葉。まあ、よくある夫婦の痴話げんかです。でも、私の頭の片隅では、別のことがグルグルと回り始めていました。「いづも通り」。これは、仕事でよく聞いた言葉だな、と。

長年、物を作る現場にいると、「ベテランの勘と経験」というものに何度も出くわします。彼らは「いつも通りやってる」と言いながら、実は無意識のうちに気温や湿度、材料の微妙な違いを感じ取って、手順を微調整している。まさに神業です。

でも、その「いつも通り」は、他の誰にも真似ができない。本人でさえ、なぜ今日はうまくいって、昨日はダメだったのかを言葉で説明できないことがある。これって、まさに女房の煮物と一緒じゃないか、と。

この「味のばらつき」という品質問題を解決できないか。私の妙な探求心に火がついた瞬間でした。

「おばあちゃんの味」を残すための、ささやかな実験

次の日から、私はこっそりと女房の料理手順を観察することにしました。もちろん、真正面から「レシピを教えろ」なんて言ったら、またへそを曲げられるのがオチですからね。

さりげなく台所に立って、世間話をしながら、横目でチラチラと見るんです。

  • 醤油は大さじで何杯か?いや、お玉で直接か…
  • 砂糖はどのくらい?…こんもりと一掴みだな。
  • 煮込む時間は?…タイマーは使わない。鍋の煮え具合を見て決めるらしい。

なるほど、見事に数値化できない「暗黙知」のオンパレードです。これじゃあ、味がばらつくのも無理はない。仕事で言うところの「作業のブラックボックス化」そのものでした。

そこで私は、ある作戦を立てました。孫が遊びに来た時のことです。

「ばあちゃんの煮物、いづもおいしいなや。大きくなっても食べたいから、作り方、オレに教えてけねが?」

孫にそう言わせたんです。まあ、ちょっとしたヤラセですがね。孫に頼まれれば、女房も悪い気はしません。

「ほぉれ、孫のためにばあちゃんが、いぢばんうまい煮物作ってけっからな!」

そう言って、いつもより丁寧に作り始めました。その横で、私はすかさずスマホを構え、動画を撮り始めたんです。

「何してな、お父さん!」

「いやいや、孫が忘れないように記録しとかねど。これもじいちゃんの役目だべ」

そう言って、調味料を入れる瞬間はスローモーションで撮影したり、煮込んでいる鍋の様子を接写したり。後で動画を見返しながら、私は簡単な「手順書」を作りました。

  1. 醤油:お玉の8分目まで
  2. 砂糖:このお椀で、すりきり一杯
  3. 煮込み時間:泡がこのくらい(写真添付)になったら、弱火で5分

こんな具合です。専門的な言葉で言えば、「標準作業手順書(SOP)」の作成ですね。曖昧な「勘」を、誰でも再現できる「形式知」に変える試みです。

最初は「面倒だなや」と文句を言っていた女房も、その手順書を見ながら作ると、確かに味がピタリと決まることに気づいたようでした。

「あら、ほんとだ。これ見れば、いつでも同じ味になるなや」

まんざらでもない顔でそう言ったのを見て、私は心の中でガッツポーズです。

大げさなAIやシステムなんてなくても、ほんの少しの工夫で「品質」は安定させられる。そして、その鍵は「見えないものを見えるようにする」ことにある。あの記事で私が一番伝えたかった「人手作業のデータ化」の原点は、我が家のカレイの煮つけだったというわけです。

「ポカヨケ」は玄関のシール一枚から始められる

もう一つ、記事のヒントになったのが、私の「探し物」です。この年になると、どうも物忘れがひどくなりましてね。「あれ、車の鍵どこ置いだっけが?」「スマホが見当たらねぇ!」なんて、毎朝のように大騒ぎです。

先日も、近所の佐藤さんとばったり会った時に、そんな話になりました。

「いやぁ、今朝もメガネ探すのに30分もかかったでの。結局、頭の上さ乗せっただけだったんだげんと」

佐藤さんが頭をかきながら言うと、私も「わかるわかる!」と膝を打ちました。

「おれも昨日、出かける直前になって鍵がねぐで、家中ひっくり返したでの。結局、ズボンのポケットさいっだまま洗濯機さ入れったっけ」

「ははは、そりゃ大変だったなや。お互い、年だのぉ」

笑い話で終わらせることもできたんですが、私の頭はまた仕事モードに切り替わっていました。こういうケアレスミスを、現場では「ヒューマンエラー」と呼びます。そして、それを防ぐための仕組みが「ポカヨケ」です。

例えば、部品の向きを間違えたら、そもそも機械にセットできないように物理的な凹凸をつける。これが典型的なポカヨケです。この考え方を、家の探し物に応用できないだろうか。

私がまずやったのは、「モノの住所」を決めることでした。

  • 鍵:玄関の下駄箱の上の、このカゴの中
  • スマホ:リビングのテーブルの、この充電トレイの上
  • メガネ:寝室の枕元の、このケースの中

でも、ただ決めるだけじゃダメなんです。人間はすぐに忘れる生き物ですからね。そこで、もう一工夫。出かける時に必ず触る、玄関のドアノブのすぐ上に、小さなシールを貼ったんです。そこには、こう書きました。

「鍵・財布・スマホ、持ったか?」

たったこれだけです。でも、効果は絶大でした。家を出る時、無意識にこのシールが目に入る。すると、「あ、そうだ」と確認する習慣が自然と身についたんです。

佐藤さんにこの話をしたら、いたく感心されました。

「はぁ〜、なるほどなや!シール一枚でが?そんげ簡単なごどで、忘れ物なくなるもんだが?」

「まあ、ゼロにはならねぇげんと、慌てることは格段に減ったでの。要は、忘れないように頑張るんじゃなくて、忘れようがない仕組みを作ってしまうのが大事なんだな」

「仕組み、ねぇ。おめさん、いづも難しげなごど考えてだなや」

佐藤さんは笑っていましたが、これは非常に重要なポイントです。AIを使った「デジタル防呆」も、結局はこの考え方の延長線上にあります。作業手順を間違えたら、その場でアラートが鳴る。これも、「間違えないように頑張れ」という精神論ではなく、「間違えたら即座にわかる」という仕組みで人を助けているわけです。

大げさなシステムを導入する前に、まずは身の回りの「うっかり」を防ぐための、自分だけの「ポカヨケ」を探してみる。そんな小さな一歩が、日々の暮らしの質をぐっと上げてくれるかもしれません。

家庭菜園日誌が教えてくれた「データ統合」の本当の意味

最後に、家庭菜園の話をさせてください。我が家の庭には、猫の額ほどの畑がありまして、毎年夏になるとキュウリやトマトを育てています。

去年はキュウリが大豊作だったのに、今年はなぜかさっぱりダメ。葉っぱはすぐに病気になるし、実は大きくならない。なんでだろう、と考えても、原因がさっぱりわからないんです。

  • 去年の苗はどこの店で買ったっけかな…
  • 肥料は、確か鶏糞だった気がするけど、いつやったかな…
  • 梅雨の時期、雨は多かったっけ?少なかったっけ?

記憶が全部、バラバラなんです。これでは、原因の特定も、来年の対策も立てようがない。これもまた、仕事でよく見る光景でした。「データがサイロ化(分断)している」状態です。生産記録はこっちのシステム、検査記録はあっちのExcel、設備の稼働データはまた別…これでは、いざ問題が起きても、何と何が関係しているのかを突き止めるのに膨大な時間がかかってしまう。

そこで、今年から私はスマホのメモアプリで「家庭菜園日誌」をつけ始めました。

  • 5月10日: ホームセンターAで「夏すずみ」の苗を4本購入。畑のBエリアに定植。
  • 5月25日: 油かすを追肥。天気は晴れ。
  • 6月15日: うどんこ病発生。葉に白い粉。雨が3日続いた後だった。
  • 6月20日: 初収穫。長さ15cm。少し曲がり気味。

写真も一緒に撮って、記録に残します。これを続けていくと、今まで見えなかった「関連性」が見えてくるんです。「ああ、去年豊作だったのは、牛糞堆肥をたっぷり入れたからかもしれない」「どうも雨が続くと、うどんこ病が出やすい傾向があるな」といった具合です。

これが、あの記事で書いた「データプラットフォームの構築」の、いわば家庭菜園版です。HOP(人)、MES(製造)、CCTV(映像)といった様々なデータを統合することで、初めて真の原因究明ができる、という話に繋がっていきます。

バラバラだった「記憶」を、一つの場所に集めて「記録」にする。それだけで、過去の失敗から学び、未来の成功確率を上げることができる。これもまた、AIがやろうとしていることの本質なのかもしれません。

むすびに

長々と、ジジイの身の上話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

AIだ、IoTだ、と聞くと、何だか自分たちの暮らしとはかけ離れた、難しい世界の話に聞こえるかもしれません。でも、その根っこにある考え方は、実はとてもシンプルで、私たちの日常に転がっている悩みを解決するヒントに満ちています。

  • 味が安定しない煮物(品質のばらつき)は、手順の見える化(SOP作成)で解決の糸口が見える。
  • しょっちゅう探し物をする(ヒューマンエラー)は、忘れない仕組み(ポカヨケ)で防げる。
  • 去年の成功が再現できない(データ分断)は、日々の記録(データ統合)で改善できる。

仕事で得た知識や経験を、こうしてプライベートな問題解決に役立ててみる。そして、その試行錯誤から得た気づきが、また仕事に新しい視点を与えてくれる。60歳を過ぎた今、そんな風に知識と経験が循環していくのが、なんだかとても面白いと感じています。

もし、皆さんの周りにも「なんだかうまくいかないなぁ」と感じることがあったら、一度、今回お話ししたような視点で眺めてみてはいかがでしょうか。案外、解決策はすぐそばに隠れているのかもしれませんよ。