あの完璧なAI旅行計画が、友人関係を壊しかけた日。記事には書けなかった、私の大失敗
先日公開した「AIで旅行計画はここまで変わる!」という記事、おかげさまで多くの方に読んでいただけたようです。「こんな便利なものがあるのか」「次の旅行で使ってみます」なんて感想をいただき、書いた甲斐があったと胸をなでおろしています。
しかし、白状します。あの、いかにも物知り顔で「特化型アプリ」だの「汎用AI」だのを解説している記事の裏側で、私、62歳、このAIという新しい道具のせいで、長年の友人たちとの間に、とんでもなく気まずい空気を作り出してしまったのです。
長年、物造りの現場で「どうすれば無駄なく、最短で、最高のものができるか」ばかりを考えてきた私の悪い癖。その「最適化」という名の病が、プライベートで大暴走。良かれと思ってやったことが、友情にヒビを入れかねない事態にまで発展してしまいました。
これは、あの記事の行間からこぼれ落ちた、私のちょっぴり恥ずかしい失敗談。そして、AIという賢すぎる道具と、私たちアナログな人間が、どうすればうまく付き合っていけるのかを、身をもって学んだ試行錯誤の物語です。
「おめ、それ、仕事の出張計画でねが?」完璧な旅程表と、友人たちの冷ややかな視線
ことの発端は、毎年恒例となっている、学生時代の友人たちとの男旅の計画でした。メンバーは私を含め4人。還暦を過ぎ、それぞれ仕事も一段落した気ままな旅です。今年も「秋になったら、どこか紅葉でも見に行ぐが」という話で盛り上がったのですが、例によって計画は一向に進みません。
公民館の一室に集まっては、
「どうせなら、うまい新蕎麦が食えるどごがいいなや」
「いや、わだしはゆっくり温泉さ浸かりたい」
「去年と同じで、結局なにも決まらんで終わるんでねが?」
と、好き勝手なことばかり言って、時間だけが過ぎていきます。
そこで、最近ChatGPTという新しい武器を手に入れていた私は、つい、いつもの仕事の癖が出てしまったのです。
「よし、みんなの希望は分かった。俺が全員の願いを叶える、完璧な旅行計画を立ててきてやる。任せろ!」
私は意気揚々と家に帰り、パソコンに向かいました。そして、あの記事で紹介した「魔法のプロンプト」を、これ以上ないほど緻密に作り上げたのです。
あなたはベテランの旅行コンシェルジュです。以下のわがままな条件をすべて満たす、60代の男性4人組のための、最高の1泊2日の紅葉旅行プランを、15分刻みの時系列で作成してください。
メンバー全員の好み(蕎麦、温泉、地酒、写真スポット)、予算、体力まで考慮し、移動ルートはGoogleマップで渋滞予測まで加味して最短時間を算出。昼食の蕎麦屋は食べログの評価4.0以上、宿は温泉の泉質と夕食の口コミまで徹底的に比較検討。そうして出来上がったのは、自分でも惚れ惚れするほど完璧な、A4用紙3枚にわたる旅程表でした。
数日後、私はその「完璧な作品」を手に、再び公民館へ向かいました。
「みんな、待たせたな。これを見ろ!」
自信満々に旅程表をテーブルに広げた私に、友人たちが浴びせたのは、賞賛の声ではなく、冷ややかな視線でした。
旅程表を黙って眺めていた友人の一人が、ぽつりとつぶやきました。
「…なあ、これ、10時15分に蕎麦屋さ着いで、11時30分に出発って書いであるども、もし蕎麦が出てくるのが遅げなったら、どうすんだ?」
「いや、それは店に予約の電話を…」
「そしたら、もし途中の道で、きれいな紅葉ば見つけだとしても、車止めらんねんだが?」
別の友人が、追い打ちをかけます。
「おめ、これ、旅行でなくて、仕事の出張計画でねが?なんだか、見てるだけで息苦しくなってきたなや」
和室の空気が、みるみるうちに凍り付いていきました。私は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。良かれと思って、彼らの手間を省き、最高の体験をさせてやろうと、心からそう思ってやったのに。
その時、ようやく気づいたのです。
彼らにとっての旅の楽しみとは、「完璧な計画通りに物事が進むこと」ではなかった。ああでもない、こうでもないと地図を広げて無駄話をする時間。途中で見つけた名もなき滝に感動して、予定外の寄り道をする偶然。その、非効率で、無駄で、予測不能な時間そのものが、彼らにとっての「旅」だったのです。
私は、その一番大切な「遊び」の部分を、善意という名の下に、根こそぎ奪い去ろうとしていたのです。
AIを「秘書」から「サイコロ」へ。起死回生の「AIおみくじ」作戦
その日の会合は、もちろんお開き。「旅行は、また今度な」という、事実上の「中止勧告」を突き付けられ、私は一人、重い足取りで家路につきました。長年の友人関係が、自分の独りよがりのせいで、ギクシャクしてしまった。
どうすれば、この状況を打開できるか。私は何日も考え込みました。そして、ふと、昔、工場の生産ラインでトラブルが起きた時のことを思い出したのです。一つのやり方でうまくいかない時は、全く逆の発想をしてみる。そうだ、AIの使い方を、180度変えてみよう。
AIを「完璧な計画を作る、優秀な秘書」として使うから、息苦しくなるんだ。そうじゃない。AIを「何が飛び出すか分からない、ワクワクするサイコロ」として使ってみてはどうだろうか。
数日後、私は友人たち一人ひとりに頭を下げて謝り、もう一度だけチャンスをくれと頼み込みました。
「この前の計画は、本当にすまなかった。あれは全部忘れてくれ。代わりに、みんなで『AIおみくじ』ば引かねが?」
きょとんとする友人たちに、私はA5サイズのカードとペンを配りました。
「まず、理屈は抜きにして、今回の旅で『行きたい場所』か『やりたいこと』を、一人3つずつ、このカードに書いてくれ。どんな馬鹿げたことでもいい。例えば『日本一うまい団子を食う』とか『夕日を見ながら一句詠む』とか」
最初は戸惑っていた友人たちも、やがて面白がって「熊に会ってみたい」「廃校で肝試し」などと、思い思いの願望を書き始めました。このアナログな共同作業が、凍り付いていた場の空気を少しずつ溶かしていきました。
全員が書き終えたところで、私はスマホを取り出し、みんなに見えるように、そのカードに書かれた12個の願望を、一つ一つChatGPTに入力していきました。そして、こう続けたのです。
「なあ、ChatGPT。俺たちは人生の寄り道を楽しみたい、わんぱくなじいさん4人組だ。ここに、俺たちの12個の夢がある。この中から、くじ引きのように『3つ』だけをランダムに選んでくれ。そして、その3つを組み合わせたら、どんな珍道中になるか、思わず旅に出たくなるような、ユーモアたっぷりの『旅のタイトル』を考えてくれ!」
AIを「命令する相手」ではなく、「一緒に悪だくみをする仲間」のように扱ったのです。
数秒の沈黙の後、スマホの画面に現れた答えに、私たちは腹を抱えて笑いました。
【AIが引いたおみくじ】
- うまい新蕎麦が食えるどご
- 夕日を見ながら一句詠む
- 廃校で肝試し
【AIが考えた旅のタイトル】
『満腹、そして絶句。黄昏れの廃校で一句ひねる、大人の肝試しツアー』
「なんだそりゃ!」「蕎麦食った後に、肝試しで全部吐き出すんでねが!」
みんなの笑い声が、公民館の和室に響き渡りました。あの息苦しかった空気は、もうどこにもありませんでした。完璧な計画を提示された時とは、全く違う熱気がそこにはありました。
結局、私たちはAIが引いたこの「おみくじ」通りの旅に出かけることにしたのです。行き先は、廃校がある山奥の蕎麦処。それだけを決めて。
おわりに:AIは最高の「サイコロ」だ
旅の道中、AIは私たちの最高の遊び相手になりました。道に迷えば「なあ相棒、この辺で一番景色がいい寄り道ルートを教えてくれ」と尋ね、夕暮れの日本海では「この景色を庄内弁の俳句にしてくれ」と無茶ぶりをする。AIが出す、時に的確で、時にトンチンカンな答えに、私たちは一喜一憂し、旅は予定不調和な楽しさに満ちていました。
この大失敗と、それに続く珍道中があったからこそ、私はあの「AI旅行計画」の記事を書くことができたのです。
AIは、使い方を間違えれば、人間関係から「遊び」や「余白」を奪う、息苦しい監視役にもなり得ます。しかし、使い方次第では、私たちの日常に「偶然」や「笑い」を運んできてくれる、最高のサイコロにもなるのです。
あの記事で、私が「特化型アプリ」と「汎用AI」を比較し、「AIはあくまで副操縦士」と書いたのは、この身をもって学んだ教訓があったから。効率や正しさだけが、人生の答えじゃない。時にはサイコロを振るように、AIに身を委ねてみる。そんな付き合い方が、私たちシニア世代には、ちょうどいいのかもしれません。
もし、あなたがAIという新しい道具との付き合い方に迷ったら、思い出してください。
AIは、賢すぎる秘書であると同時に、最高の悪ふざけの仲間でもある、ということを。