「AIは“正論”だけでは動かない」―AI導入プロジェクトの裏側で起きていた、泥臭いコミュニケーションの話
先日公開した『社内データ活用 AI構築 完全ガイド』の記事に、ありがたいことに多くの反響をいただきました。あの記事は、いわばAI導入という航海の「理想的な海図」です。理論上、あの通りに進めば目的地にたどり着けるはず。しかし、実際の現場という海は、もっと予測不能で、泥臭いものです。
海図には、経営層という名の「突然の嵐」も、現場に根付く「見えない岩礁」も、そしてプロジェクトを停滞させる「凪のような無関心」も描かれてはいません。
今回は、あの海図の行間に隠された、私自身が体験したリアルな物語をお話ししようと思います。最新技術を振りかざすのではなく、人と組織を動かすために奮闘した、コミュニケーションとマネジメントの裏話です。これは技術論ではなく、AI導入の成否を分ける「人間」の話です。
最初の壁:「それ、ウチで本当にできるの?」―経営層の期待と現場の現実
すべての物語は、経営トップの一声から始まります。ある製造業のクライアントでのこと。60代のやり手社長は、目を輝かせて私にこう言いました。
「いやー、先生の記事、読ませでもらっだ。ChatGPTみでなやつだべ? おめさんなら、あんなのちゃっちゃど作れんだろ。明日がらでもうちの若い衆さ教えでけろ。うちの技術資料、全部AIさ覚えさせで、何聞いでも答えるようにすんだ!」
記事で言うところの「自社の仕事に強いAI」というコンセプトに、強く共感してくださったのは嬉しい限りです。しかし、その熱量と同じくらいの冷ややかな空気が、プロジェクトの担当部署には流れていました。
後日、担当に任命された入社8年目の佐藤さん(30代・女性)は、私との1on1で、深い溜息と共におもむろにPCの画面を共有してくれました。
「…社長はああ仰ってますけど、見てください、このファイルサーバー。これが現実です。『最終版』って名前のフォルダが3つもあって、中には『最終版(修正)』とか『本当に最終』とかいう名前のファイルが5つも並んでるんです。どれが最新かなんて、書いた本人にしかわかりません。AIに読ませる前に、まず全社的な大掃除から始めないと、ゴミを学習させるだけですよ…」
まさに「ゴミからはゴミしか生まれない」という現実。経営トップの描く壮大な夢と、現場が直面する泥沼のような現実。この巨大なギャップこそが、AI導入プロジェクトにおける最初の、そして最大の壁です。
私がやったこと:期待値の「翻訳」と痛みの「可視化」
ここで私が「社長、現実を見てください」と正論をぶつけても、彼の熱意の炎に油を注ぐだけです。かといって、佐藤さんのような現場担当者に「気合でデータを綺麗にしろ」と言うのは、ただの精神論でしかありません。
私の仕事は、彼らの間に立って「翻訳」することでした。
まず、社長のもとへ向かいます。
「社長、素晴らしいアイデアです。ただ、最高のAIを作るには、最高の食材が必要です。今は、倉庫の奥で色々な食材がごちゃ混ぜになっている状態です。いきなりフルコースを作るのではなく、まず、一番問い合わせが多くて皆が困っている『経費精算マニュアル』という最高の食材を使って、絶品の『AI卵焼き』を作りませんか? これが一つ大成功すれば、他の部署も『うちの食材も使ってくれ!』と必ず手を挙げてきますよ」
次に、佐藤さんと彼女のチームにはこう伝えました。
「佐藤さんのご指摘、本当にその通りです。このデータ整理の大変さを、社長に理解してもらうのが私の仕事です。そこで、皆で『もし、この経費精算マニュアル関連のデータをAIが読めるように整備するとしたら、どれくらいの工数がかかるか』を見積もってみませんか? その時間を金額に換算して、『これだけの“先行投資”をすれば、将来、全社員の問い合わせ対応時間がこれだけ削減できます』という具体的なストーリーにして、私が社長に説明します」
これは、記事で書いた「段階0:ユースケース選定と成功指標(KPI)の確定」の裏側で起きていた、極めて人間的な調整作業です。経営層の抽象的な「夢」を、現場が着手可能な「具体的な一歩」に翻訳する。そして、現場の「漠然とした大変さ」を、経営層が理解できる「時間とコスト」という共通言語に変換して可視化する。
この「翻訳」作業なくして、プロジェクトのスタートラインにすら立てなかったでしょう。
データ整備の泥沼:「俺の頭がデータベースだ」と豪語する抵抗勢力
小さな成功体験を積むべく、「経費精算マニュアルAI」プロジェクトはなんとかスタートしました。しかし、次の壁は、より強固な「部門の壁」でした。
経費精算のルールは、経理部だけでなく、営業部や製造部にも独自の慣習や内規が存在します。それらの情報を集めようとヒアリングに回ると、案の定、強力な抵抗に遭いました。
特に手強かったのが、品質管理部のベテラン部長(50代後半)です。彼は、分厚いファイルをドンと机に叩きつけ、こう言い放ちました。
「おらほのデータは門外不出だ。何十年もがげで蓄積した、このわだし自身の汗と涙の結晶なんだぞ。わけのわがんねAIさ読み込ませで、何が起きっかわがんねもんに、はいそんだって渡せっか!」
また、営業部のトップエース(40代)は、鼻で笑いながらこう言いました。
「AI? そんなものより、俺の頭の中にあるノウハウが一番正確だよ。客先でイレギュラーなことが起きたら、皆俺に聞きに来る。それをわざわざ資料にまとめてAIに食わせるなんて、俺の手間が増えるだけじゃないか」
記事に書いた「段階1:データ棚卸しと整備」は、単なる技術的な作業ではありません。それは、各部署が長年守ってきた「縄張り」と、個人の「プライド」に踏み込む、非常にデリケートな政治活動なのです。
私がやったこと:「恐怖」への共感と「メリット」の個別最適化
彼らの抵抗の根源にあるのは、「自分の仕事や存在価値が奪われるのではないか」という恐怖です。これを正面から否定しても、彼らの心を閉ざさせるだけです。
品質管理部長には、彼のプライドを尊重する言葉を選びました。
「部長、おっしゃる通りです。このファイルは、まさにこの会社の品質を守ってきた歴史そのものですね。この大事な財産を、AIという最新鋭の金庫に、最高のセキュリティでお預かりするのが今回の目的です。そして、その金庫の鍵を管理し、AIに何を教えるかを最終的に決めるのは、他の誰でもない、部長ご自身です。AIは、部長の分身であり、右腕になるんですよ」
営業エースには、彼個人にとっての具体的なメリットを提示しました。
「〇〇さんのノウハウは、本当に会社の宝です。でも、そのせいで〇〇さんのところに若手からの同じような質問が殺到して、本来の営業活動に集中できていない時間もありませんか? もし、基本的な質問にAIが一次回答してくれるようになれば、〇〇さんはもっとクリエイティブな、〇〇さんにしかできない高度な案件に集中できます。AIを『便利な後輩』だと思って、育ててみませんか?」
さらに、最も効果的だったのが「巻き込み戦略」です。
抵抗勢力がいるなら、その人こそプロジェクトのレビューメンバーに引き入れる。
「部長、このAIが本当に現場で使えるものになるか、部長の厳しい目でチェックしていただけないと、絶対に成功しません。どうか、我々のアドバイザーになっていただけないでしょうか」
こうして「評論家」から「当事者」へと立場を変えてもらうことで、彼らは徐々に、AIを育てる仲間になっていきました。
「作って終わりじゃない」の本当の意味―運用フェーズの孤独な戦い
数々の壁を乗り越え、最初のプロトタイプが完成。関係者向けに公開すると、当初は「お、すごいね!」と好意的な反応が得られました。しかし、本当の戦いはここからでした。
本格運用を開始して数週間。担当者の佐藤さんが、憔悴しきった顔で私のところにやってきました。
「…どうしましょう。ユーザーからのフィードバックが集まるのはいいんですけど、『こんなのも答えられないの?』『結局、人に聞いた方が早い』といった否定的な意見ばかりで…。開発メンバーも『せっかく頑張って作ったのに』って、すっかりモチベーションが下がってしまって…」
これこそが、多くのプロジェクトが陥る「死の谷」です。記事で書いた「段階5:評価・運用・改善(EvalsがプロダDクトの生命線)」は、この谷を越えるための極めて重要なフェーズですが、精神的には最も過酷な時期でもあります。
私がやったこと:「苦情」の再定義と「改善サイクル」のゲーム化
まず、落ち込んでいるプロジェクトチーム全員を集め、ホワイトボードに大きくこう書きました。
「苦情=最高のプレゼント」
そして、こう続けました。
「皆さん、落ち込む必要は全くありません。むしろ、喜びましょう。『使えない』というフィードバックは、ユーザーが私たちのAIを本気で使おうとしてくれた、何よりの証拠です。一番怖いのは、誰からも何も言われない『無関心』です。彼らは、どうすればもっと良くなるかのヒントを、わざわざ時間を割いて私たちにプレゼントしてくれているんです。さあ、この最高のプレゼントをどう料理して、もっと美味しいシステムに育てていきましょうか?」
ネガティブな事象を、ポジティブなミッションに再定義する。リーダーシップの第一歩です。
次に、具体的な行動として、記事で触れた「Evals(評価指標)」を徹底的に見える化しました。正答率、応答速度、そしてユーザー満足度(CSAT)をグラフにし、毎週の定例会議でチーム全員でレビューするのです。
「今週は、『〇〇という質問に答えられなかった』というフィードバックが3件あった。原因はデータの不足だ。来週は〇〇のデータを追加して、このパターンの正答率を80%から95%に上げることを目標にしよう!」
このように、漠然とした「改善」を、具体的な「目標」と「アクション」に落とし込む。そして、目標を達成したら、たとえ小さくてもチームで喜びを分かち合う。この改善サイクルをゲームのように楽しむ工夫が、チームの士気を蘇らせました。
さらに、特に辛辣ながらも的確なフィードバックをくれるユーザーを特定し、直接コンタクトを取りました。
「〇〇さん、いつも鋭いご指摘、本当にありがとうございます。正直、耳が痛いですが(笑)、一番参考になっています。〇〇さんはもう、私たちの開発チームの一員です。もしよろしければ、次の機能改善会議にアドバイザーとして参加していただけませんか?」
こうして、最強のクレーマーを、最強の「チャンピオンユーザー」へと変えていくのです。彼らが味方になれば、これほど心強い応援団はいません。
結論:AI導入は「技術」ではなく、徹頭徹尾「人」を動かす仕事
『社内データ活用 AI構築 完全ガイド』に書いた技術やフレームワークは、間違いなくプロジェクトを成功に導くための強力な羅針盤です。しかし、羅針盤だけでは船は進みません。
実際の航海では、経営層の嵐のような期待を巧みにかわし、現場に根付く氷山のような抵抗を辛抱強く溶かし、そして運用開始後の凪のような無関心を乗り越えるための「エンジン」と「舵取り」が必要です。
そのエンジンとなるのが、現場の担当者の熱意であり、舵取りを担うのが、人と組織の心理を読み解き、言葉を尽くして合意形成を図る、極めて人間的なコミュニケーションスキルです。
AI導入は、華やかな「技術プロジェクト」に見えるかもしれません。しかし、その実態は、どこまでも泥臭い「組織変革プロジェクト」なのです。
この記事が、これからAI導入という大海原へ乗り出す皆さんの、ささやかな「お守り」となれば、これに勝る喜びはありません。さあ、あなたの会社に眠る最初の「宝の地図」を、まずは一枚の紙に書き出すことから始めてみてください。その小さな一歩が、組織全体を動かす、大きなうねりの始まりとなるはずです。