「それ、AIでできますよ」と言う前に。現場の心を動かしたコミュニケーションの裏話

「それ、AIでできますよ」と言う前に。現場の心を動かしたコミュニケーションの裏話

先日、生成AIを活用して展示会後のフォローを劇的に効率化する方法について、ある記事を執筆しました。名刺のデータ化からパーソナライズメールの自動生成まで、一気通貫で仕組み化する、いわば「勝ち筋」の設計図です。

AI活用

生成AIで展示会フォローを自動化する実践ガイド|名刺OCRからパーソ-ナライズメールまで徹底解説 はじめに:展示会後の「やり切れない」フォローを、AIで“勝ち筋”に変える 「今年も大量の名刺が集まったが、どこか[…]

記事では成果の一部を紹介しましたが、読者の皆さんが本当に知りたいのは、きっとそこに至るまでの「生々しい現実」ではないでしょうか。

システムはボタン一つで動きますが、組織はそうはいきません。そこには、変化を恐れる心、長年の経験へのプライド、部門間の見えない壁といった、人間特有の「感情の摩擦」が必ず存在します。

今回は、あの記事の裏側で繰り広げられた、あるクライアント企業でのプロジェクトを題材に、マネジメントとコミュニケーションを中心とした「苦労話」を、少しだけお話ししようと思います。これは、AIという最新技術を導入する現場で、私たちが何よりも大切にした「人間」と向き合った記録です。

第一の壁:「俺たちのやり方は、AIなんかに真似できねぇ」

プロジェクトのキックオフミーティング。会議室には、社長の号令で集められた各部署のキーパーソンが顔を揃えていました。今回のプロジェクトの推進役を任されたのは、入社8年目の佐藤さん(30代)。非常に優秀で、この改革にかける熱意も人一倍です。

私が今回の仕組みの全体像を説明し終えたとき、重い沈黙を破ったのは、営業一筋25年のベテラン、鈴木課長(40代後半)でした。

「話はわかった。理屈の上では効率的になるんだろう。でもな、俺たちのフォローはそんな単純じゃない。展示会で話したお客様の顔、声のトーン、握手した時の手の温かさ…そういうのを思い出しながら一件一件メールを打つから、気持ちが伝わるんだ。それをAIに任せるなんて、お客様に失礼だと思わんかね?」

正論です。そして、これは多くの現場で聞かれる、最も本質的な抵抗の一つです。隣で佐藤さんが「で、でも課長、実際にはいただいた名刺の半分もフォローできていないというデータが…」と口を開きかけましたが、鈴木課長の厳しい視線に言葉を詰まらせてしまいました。

空気が凍りつきます。ここで私が「いや、AIはもっと高度なことができます」と技術論で返しては、火に油を注ぐだけ。彼のプライドを傷つけ、心を閉ざさせてしまいます。

私は一呼吸おいて、まず鈴木課長に深く頷いてみせました。

「鈴木課長、おっしゃる通りです。その『気持ち』こそが、お客様の心を動かす一番大事な要素ですし、絶対に失ってはいけない部分だと私も思います。今回の仕組みは、その課長の『気持ち』を捨てるためのものではないんです」

「じゃあ、なんなんだ」

「これは、鈴木課長の分身を10人作るための『武器』なんです。課長が時間をかけて一人のお客様に送っている心のこもったメール、そのノウハウや言い回し、魂をAIに教え込むんです。そうすれば、これまで時間がなくてアプローチできなかった残り9割のお客様にも、限りなく『鈴木課長らしい』温かいフォローを届けられるようになります。AIはあくまで黒子。主役は、課長の経験とお客様を思う心です」

「俺の…分身…」

私は「代替」ではなく「拡張」という言葉を選びました。彼の経験を否定するのではなく、むしろその価値を認め、スケールさせるための手段だと位置づけたのです。これが「行動変容」を促すための第一歩。相手の聖域に土足で踏み込まず、敬意を払い、同じ景色を見るための言葉を探す。華やかなAI導入の裏側では、常にこうした地道な言葉の橋渡しが行われているのです。

第二の壁:「そんなもん、書けるわけないだろ!」メモの標準化という名の聖戦

次の壁は、元の記事で言うところの「ステップ2:インプットの整備と標準化」で現れました。AIが顧客に合わせたメールを生成するには、元となるデータ、つまり「会話メモ」の質が命です。

しかし、現場のメモはまさにカオス。ある人はびっしりとポエムのような感想文を書き、ある人は「〇〇の件、前向き」といった単語だけ。これではAIも何をどう解釈していいかわかりません。

そこで佐藤さんが「皆さん、このテンプレートに沿ってメモを入力してください」と提案した途端、今度は現場の営業担当者たちから不満が噴出しました。

「一日中外回りしてるのに、いちいちこんなの入力してられるか!」
「型にはめられると、かえって大事なニュアンスが抜け落ちるんだよ」

佐藤さんは、毎日のように営業部からの突き上げに遭い、すっかり疲弊していました。ある日の夕方、彼女は私のところにやってきて、うつむきながら言いました。

「すみません、私には無理かもしれません。皆さん、全然協力してくれなくて…」

これはプロジェクトが頓挫する典型的なパターンです。推進役が孤立し、疲弊してしまう。私は彼女に言いました。

「佐藤さん、一人で抱え込まないでください。これは佐藤さんと営業部の戦いじゃない。『全員が楽をするための仕組みを、どうやって作るか』という、全員の課題なんです。完璧を目指すのはやめましょう。まずは一つ、小さな一歩から」

翌日、私は営業部の朝礼に顔を出し、こう切り出しました。

「皆さん、お忙しい中すみません。昨日の話、テンプレートは一旦忘れてください。そのかわり、一つだけお願いがあります。皆さんがいつも通り書いているメモのどこかに、『【課題】』と『【次】』という言葉だけ入れてみてもらえませんか?

「それだけでいいのか?」と誰かが言いました。

「はい、それだけです。お客様が何に困っていたか、次に何をすべきか。この二つさえわかれば、AIが皆さんの優秀なアシスタントとして動き始めます。そして、もう一つ。スマホの音声入力、使ったことありますか?」

私はその場で自分のスマホを取り出し、音声入力アプリを起動しました。
「今日の〇〇商事さんとの打ち合わせ。【課題】は納期短縮。【次】は来週水曜までに見積もりを提出。以上」

スマホの画面には、ほぼ完璧にテキスト化されたメモが表示されています。

「展示会からの帰り道、駅まで歩きながら、こうしてスマホに話しかけるだけ。会社に戻ってから日報を書く手間が省けます。どうです?少し、楽になりそうだと思いませんか?」

ざわついていた空気が、少し変わりました。「楽になる未来」を具体的に体験してもらうこと。完璧なルールで縛るのではなく、今のやり方を少しだけ変えるだけで、明らかなメリットがあることを見せる。この「ベイビーステップ」と「体験価値の提供」が、現場の重い腰を上げるための鍵でした。

この時、ふと会議室の隅で腕を組んでいた製造部の高橋部長(60代)が、ぼそっと庄内弁で呟いたのを私は聞き逃しませんでした。

「おめさん、そだなごど言うげど、わだしだぢだどごの職人だば、図面一枚で全部わがるもんだぞ。言葉で全部書げってのが無理な話だ」
(君はそんなことを言うけれど、我々のような職人は、図面一枚で全部わかるものだ。言葉で全部書けというのが無理な話なんだよ)

この一言が、次の、そして最大の壁の予兆だったのです。

第三の壁:「それは、俺たちの仕事じゃねぇ」部門間にそびえるサイロの壁

プロジェクトが中盤に差し掛かり、自動化のパイプラインを構築する段階で、問題は起きました。

AIが顧客の課題に合わせて最適な事例や技術資料を推薦する仕組み。これを実現するには、当然ながら、その元となるコンテンツが必要です。そして、その多くは製造部が持っていました。

佐藤さんが高橋部長に「お客様に提案するための製品資料を、営業で使えるようにまとめていただけませんか?」とお願いに行ったところ、案の定、門前払いでした。

「なしてわだしらが、営業の資料ば作んねばねんだ。うぢは物造んのが仕事だ。それに、わだしらの資料は専門家向けに作ってあんだがら、素人の営業さ見せてもわがんねべ」
(なぜ我々が、営業の資料を作らなければならないんだ。うちは物を作るのが仕事だ。それに、我々の資料は専門家向けに作ってあるのだから、素人の営業に見せてもわからないだろう)

営業は「技術的なことは製造部じゃないとわからない」、製造は「資料作りは営業の仕事だ」。典型的な部門のサイロ化です。佐藤さんは両部署の間を何度も往復しましたが、話は一向に進みません。

この壁を壊すには、それぞれの部署の論理で話をしていてはダメです。一つ上の視点、つまり「会社全体」そして「お客様」という視点に立たせる必要がありました。

私は関係者全員を集めた会議で、一枚のスライドを映し出しました。

「これは、過去半年間でお客様からいただいた技術的なお問い合わせのうち、営業が即答できず、回答までに平均3日以上かかってしまった案件の一覧です。そして、このうちの実に4割が、その間に競合他社に決められてしまっています。金額にすると、半年で〇〇万円の機会損失です」

会議室が静まり返りました。

「お客様は、『営業部』や『製造部』という区別で私たちの会社を見ていません。『〇〇株式会社』という一つのチームとして見ています。この〇〇万円は、営業だけの責任でも、製造だけの責任でもありません。私たちの連携不足が生んだ、会社全体の損失です」

私はそこで初めて、高橋部長の方を向き、深く頭を下げました。

「高橋部長、お願いがあります。営業に、部長たちが魂を込めて作った製品の『本当の魅力』を教えてやってはいただけないでしょうか。お客様が一番知りたいのは、スペックの羅列ではありません。その製品がどんな想いで、どんな工夫を凝らして作られたのか、という物語です。その物語を語れるのは、高橋部長たちしかいません」

そして、こう続けました。

「一度だけで結構です。営業担当者を集めた勉強会を開いてください。先生は、高橋部長です。そこで語っていただいた内容を、我々が責任を持ってお客様に伝わる資料にまとめます。そうすれば、製造部への細々とした問い合わせは今の半分以下に減り、皆さんは本来の物造りにもっと集中できるようになります」

「先生役」という役割と、「本来の仕事に集中できる」というメリット。そして、何より自分の仕事への誇りを尊重されたことで、頑固だった高橋部長の表情が、少しだけ和らぎました。

「…一回だけだぞ。うまくまとめんねど承知しねぇがらな」
(…一回だけだぞ。うまくまとめないと承知しないからな)

その日を境に、会社全体の空気が変わり始めました。製造部主催の勉強会は、営業担当者にとって製品知識を深める絶好の機会となり、高橋部長は自分の知識が営業の武器になることに喜びを見出すようになりました。部門の壁に、小さな風穴が開いた瞬間でした。

結論:AI導入の成否は、テクノロジーではなく「人間への想像力」が決める

あの記事に書いた「工数80%削減」「成約率28%向上」という成果は、こうした一つ一つの泥臭いコミュニケーションの積み重ねの上に、ようやく成り立ったものです。

ベテランのプライドを「拡張」し、現場の負担感を「体験価値」で乗り越え、部門間の壁を「共通の目的」で突き崩す。私たちがやっていたことの本質は、システムの導入ではなく、組織のコミュニケーションデザインでした。

AIやDXという言葉が独り歩きしがちですが、忘れてはならないのは、それを使うのも、その変化の影響を受けるのも、全て「人間」だということです。

もし今、あなたが社内で新しい取り組みを進めようとして、見えない壁にぶつかっているのなら。一度立ち止まって、テクノロジーの話をするのをやめてみてください。そして、その変化によって相手が何を失うと恐れているのか、何を大切にしているのか、その心の声に耳を澄ませてみてください。

本当の変革は、最新のAIを導入した時ではなく、たった一人でも「それ、いいね。やってみようか」と、現場の誰かの心が動いた時に、静かに始まるのですから。